December 09, 2006
風光明媚な上前津?
今でこそ名古屋市中区上前津周辺は、オフィスビルやマンションが立ち並んでいるが、その昔はとても風光明媚な場所だったらしく、かの葛飾北斎も冨獄三十六景の中で「尾州不二見原」という上前津にあった富士見原(不二見原)を描いている。
江戸時代の上前津は「前津小林村」と呼ばれ、村の大部分は水田や畑であったが、城下町に隣接していることや、「富士見原」と呼ばれる眺望の良いところがあったため、武士や町人の別荘があったり、画家の住居などが点在していて、あの尾張藩兵法指南役の柳生連也 (名は厳包(としかね)) も晩年は前津小林に屋敷を賜っていたそうです。
そして、明治の初期頃までは狐がウロウロしていたという上前津周辺も、少しずつ変化しはじめ、今の大須万松寺境内に菊人形や珍花を見せる「黄花園」や、 伊藤博文も訪れた「東陽館」という山あり、池あり、巨大な集会場あり、温泉、料理店、遊戯場等々があった大遊園施設も建てられたということです。
その後も、当時263万人もの観光客が訪れ上前津の発展に多大なる貢献をした「第10回関西府県連合共進会」や、今の東山動植物園の前身「浪越教育動物園」、百畳敷の大広間や大プール、千人風呂まであった遊園地 「名古屋新世界」など、 次々に新しい施設ができ、催し物が開かれた。
当然市電も走り、当時精進川という名前でよく氾濫する川だった現在の新堀川も、開削によって住みやすくなったということも発展につながったということだ。
こうして歴史を振り返ってみると、上前津周辺って昔は一大観光地だったんですねぇ。なんだか上前津の歴史、面白くなってきた(^o^)
今度はカメラを持って歴史探検してみよっと。
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